「言」を「売る」と書いて「読」と読む。

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アウトプットを前提としたインプットこそ
自分の考えを整理するために非常に重要だ。


実際、毎日ブログとかを書いていると
自分の世の中の知らなさに気づかされる。

では普段どういうインプットをしているかというと
やはり、読書だ。

 

 

「言」を「売る」と書いて「読」と読む

 


自分は読書が苦手だ。
というよりも国語が苦手といった方が正しいかもしれないが

人生通して読み切った事のある本は
片手で数えられるくらいだ。


なぜなら、小さい頃は
小説とか活字の本を読んでも
何も勉強にならないと思っていたから。

テスト至上主義の流れに身を任せていた自分は
まさに、井の中の蛙だった。


しかし
最近は本を読む事が楽しい。

 

答えの無い「社会」に対して
絶対的な答えを見出すことの方が難しい。
その過程に、楽しみを見出す。
その経験を

 

しかも
その考え方は
普通の文系のサラリーマンだけの話ではない。

 

理系の研究においても
大学まで来ると
今までやってきた
様々な美しい方程式がどれだけ
現実社会を無視した
理想世界でのみ構築されたものなのか
理論を構築していたのかを
実感させられる。


答えを見つける側から
答えを創る側へ。

 

視点を変えなければいけない。

 


“言を買う側”から“言を売る側”へ

 


「読む」というと
ベクトルは内を向いているイメージだが

「言を売る」というと
ベクトルは外を向いているイメージ。


インプットとアウトプットのような関係にあるように感じた。


しかし
同じ言葉だ。同じ意味だ。

 

つまり

 

アウトプットを前提としたインプット

それこそ、真のインプット。


自分の答えや言葉を創り、売る。

 

本当に物事をインプットしたければ

そうやって世の中を常に「読み」続けなければならないのだ。