あの日食べたマドレーヌの味を、僕達は憶えているだろうか

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「長い間、私は夜早く床に就くのだった。」


フランスの作家マルセル・プルーストの長編小説
失われた時を求めて
は、その1文から始まる。

 

 

 

語り手は夜眠れずに
枕上、かつて過ごした
田舎町コンブレーでの出来事を思い返す。

 

ある日、熱い紅茶にマドレーヌを浸して食べた。
すると
幼少期の思い出が鮮明に蘇る。

 

コンブレーの情景、近所の人々、家族との思い出。
今まで忘れていたものが全て。

 


何かをきっかけにして
思い出が蘇る現象を作者にちなんで
プルースト現象」または「プルースト効果」と呼ばれている。

 

似たような経験は
誰しも経験したことがあるのではないだろうか。

 

この効果は味覚だけに限らず
視覚、聴覚、嗅覚、触覚を含めた五感すべてに当てはまり
時には全てリンクして
無意識的にその場面が脳裏に焼き付いている。

 


雨が降りそうな時の独特な匂い。

その匂いを嗅ぐと
小学校の頃に、長靴を履いて妹と一緒に
隣の家の塀にあった紫陽花にいるカタツムリを取り行ったなぁ・・・

なんて思い出す。

 


誰しもが感じるこの感覚。
この瞬間、何とも言えない幸せな気持ちになる。

 

このような幸福感を何故感じるのか。
小説の中では次のように説明している。

 

「現在の瞬間に感じるとともに、遠い記憶おいても感じていた結果」
「過去を現在に食い込ませることになり、
自分のいるのが過去なのか現在なのか判然としなくなったため」
この瞬間
「私」が超時間的な存在となり
将来の不安からも、死の不安からも免れることができていたのである。

 


この小説の中で説明されるように

人間は「超時間的な生き物」である
と、私もつくづく思う。

 

この世には、3種類の人間がいる。


1.「過去」に生きる人間
2.「今」に生きる人間
3.「未来」に生きる人間


恐らくこの傾向は
世代によって変化するであろう。

 

子供は、好奇心のまま「今」に生き
若い世代は、これからの「未来」に生き
高齢者は、これまでの「過去」に生きる。

 

プルースト現象とはちょっと違うが
高齢者の徘徊も
実は無意識の記憶によるもので
「過去」に行った婚約者との思い出の地を
目指して歩いているなんていうデータもある。

 

「どの時間に生きるべきか。」
そこには、答えはない。

 

しかし

「どの時間に生きたいか。」

その答えを作ることはできる。

 

しっかり自分の芯がある人は
それを五感で感じるように
より具体的にイメージできていて
約束事として自分に課しているのだろう。

 

たまには長い間、夜早く床に就くのではなく

昔遊んだ場所、これから行きたい場所に、足を運んでみると良いかもしれませんね。