= 自分が9割 =

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 “人間は皆、自分のことが好きだ。”

 

 

「自分のことが大嫌い!」

と、言っている人であっても

人によってその度合いの大小はあれど

無意識的に自分のことが好きだ。

 


 “人間は皆、自己チューだ。”


何をするにしても結局は“自分”の為。

でなければ、やろうとすら思わないだろう。

 

「いやいや、私は

自分の生活を犠牲にしてまでも

人のため、世のために

NPOをやったり、ボランティアやったりしてますよ!」

 

そう言う人もいるかもしれないが

それは自分のやりたいことであるはずだし

「人の為に何かしてあげる」こと自体が「自分のため」になっている。

仏教で言うところの「自利利他」の様な考え方であるが

これも、一種の自己チューではないだろうか。


 “人間は皆、経験主義だ。”


自分が経験したこと。

それを元にして、色々な物事を判断する。

本で読んだことよりも、自分で経験したこと。

2次情報よりも、1次情報。

 

 


とはいえ

思考が主観に偏っていては

人の目を伺いながら生きていく現代社会において

辛い場面もあるだろう。

 

だから自分は日頃から、あらゆる事象に対して

自分中心的な「主観」だけではなく

色々な立場に立つ「客観」の視点をするよう心がけている。

 

今日の研究室のゼミでも

色んな研究結果について

客観的に考えていた。

 

しかし

教授や助教の方の意見を聞いていると

「確かにな!」

と思わされることが何回かあった。

 


自分に足りないものはなんなのか・・・

 

そこで色々考えた結果

「主観」と「客観」の視点には大きく分けて、4つの視点があることに気づいた。

 


 ①主観的主観
 ②客観的主観
 ③主観的客観
 ④客観的客観

 


①自分自身がある事象に対する

当事者である時(主観的)」の「自分自身(主観)」の視点


②自分自身がある事象に対する

当事者ではない時(客観的)」の「自分自身(主観)」の視点


③他人Aがある事象に対する

当事者である時(主観的)」の「他人A(客観)」の視点

 

④他人Aがある事象に対する

当事者でない時(客観的)」の「他人A(客観)」の視点

 


無意識の内に大抵の人は

①主観的主観、②客観的主観

でばかり見てしまっているのではないだろうか。

 

今回の研究室のゼミでの自分がまさにそれだ。

 

自分は客観的に考えているつもりなのだが

それは結局「当事者ではない」「自分自身」の視点(客観的主観)であり

相手の立場に立ったつもりになっていただけなのだ。



本当に相手の立場に立つためにはどうすれば良いのか

この4つの視点を意識して

物事を考えていくと、新しい発見があるかもしれませんね。